ガーシー議員が72年ぶりの除名ということで、その前に除名された川上貫一氏について軽く調べてみた。

 実に72年ぶりの除名処分ということで話題になってますね。ぶっちゃけガーシー氏は個人的にどうでも良いのですが、その前に除名された人ってどんな人かしらん、と思って軽く調べてみました。

 結論から言うと、2023年から72年前、すなわち1951年に除名されたのは川上貫一氏です。日本共産党所属で、戦前から共産主義活動をしていたバリバリの左派ですね。

 これで終わりでも良いんですが、軽く蛇足を以下追加していきます。

 

目次

1951年当時の状況

当時は戦後まだ6年ほどで、1948年に発足した第二次吉田茂内閣の時代。日本はGHQの占領下にあり、前年1950年には朝鮮戦争が勃発、それを受けて自衛隊の前身である警察予備隊が発足しています。

 日本の状況としては戦後の復興が始まったばかりくらいというところでしょうか、有名な「もはや戦後ではない」の言葉が出たのは1956年。日米安保条約が締結されるのは1960年。ちょっと年表ぽくしてみます。

 

1945年 終戦

1948年 第二次吉田内閣発足

1950年 朝鮮戦争勃発、警察予備隊発足

1951年 川上氏除名 ←ここ

1956年 「もはや戦後ではない」宣言

1960年 日米安保条約締結

 

これである程度当時の状況が分かるでしょうか。ちなみに当時はまだ自由民主党は存在せず、前身の自由党民主党が存在している時代でした。

問題視された川上氏の発言

 さて話を川上氏に戻すと、そもそも氏が除名に至ったきっかけとしては、1951年1月27日の衆議院本会議での発言であるようです。以下しんぶん赤旗のWebページの引用です。

そういうなかで同年1月27日、衆議院本会議で川上氏は、「…国民の大多数は単独講和に反対しておる。…再軍備に反対しておる。同時に占領軍の早期撤退を望んでおります。…ここに日本国民の名において、かような政治を即時中止して、日本国憲法を守って、ポッダム宣言に基づく全面講和を実現するいっさいの政策を実行することを要求するものであります」と1時間近い代表質問に立ちます。〈このいわゆる「除名演説」全文は川上著『たたかいの足おと』(新日本出版社)にあります。衆院会議録ではかなり削除されています〉

www.jcp.or.jp

 ここで出てくる「単独講和」「全面講和」というのは日本が独立を回復するための講和条約のこと。全面講和というのは連合国すべての国と一斉に講話をすること、単独講和はまずは講話できる国と先行して講話しようということです。吉田茂内閣は単独講和を進めようとしていました。川上氏はこれに反対し、全面講和が良いと主張したということです。

 これに対して自由党民主党の一部が不穏当な表現であり国会の品位を汚したとして懲罰動議を提出しました。懲罰委員会はそれを認めて川上氏に陳謝を求めるも、それを拒否したため除名された、という流れです。ちなみに得票は賛成239、反対71でした。ガーシー氏の得票は賛成235、反対1。ガーシー圧倒的w

 国会の品位を汚したというなんともあやふやな理由で除名されるというのは、当時朝鮮戦争勃発でGHQによるいわゆるレッド・パージが吹き荒れていたことが関係してそうな気がします(ホントのところは分からない)。

除名されるも国会議員に復帰した川上氏

 除名された川上氏なのですが、2年後の1953年の衆議院選挙で当選し、議員に返り咲いています。除名されたにも関わらず返り咲くというのは、これが当時の民意ということも言えるかも知れませんね。

 

 蛇足もここまで。さてガーシー氏は川上氏と同様議員に返り咲くことはできるんでしょうか。個人的にはできないに賭けたいところですねw

 ちなみに川上氏について最初ChatGPTについて聞いてみました。楽できるかなと思って。そしたら共産党なのに自民党所属とか、2007年に贈賄で除名とか思いっきり嘘を吐かれましたw聞き方が悪かったのかAIがまだまだなのかは不明です。ぜんぜん違うよと言ったら素直に謝るChatGPT可愛い。擬人化待ったなし。