ジャンヌ・ダルクが大砲を野戦で始めて使ったっていう都市伝説を否定してみる

ネットを見るとたまーに(ほんとに極たまに)「ジャンヌ・ダルクが始めて野戦で大砲を人に向けて撃った」って話をする人を見かける。

 

それまで大砲は攻城兵器としてしか使われていなかったけど、騎士の戦いにこだわらないジャンヌ・ダルクが野戦で使用して人に向かって撃ち出した。仁、これが誉れある戦いと言えるか

ここから発展して

 

ジャンヌ・ダルク登場後、フランス軍が野戦でも勝てるようになったのは、イングランドの長弓兵を大砲の射程で圧倒したから。

なんて話をする人も見かけた。

 

「それ多分違うなー」と思いながらもドイツ史・戦史はそこそこ知ってるがフランス史はあまりしらない俺はその都度スルーしていた。

 

だけど今回わりとがっつり調べた(つってもソースはほとんどWikipedia)ので、忘れないようにメモがてら書いておく。

 

ジャンヌ・ダルクが生まれる前に野戦ですでに使用されていた大砲

百年戦争中の野戦で、大砲が使用された最初の例は有名なクレシーの戦い。ジャンヌ・ダルクどころかフランス軍でもなく、イングランド軍が使用している。

desaixjp.blog.fc2.com

2~3門の大砲を撃ち、フランス軍に動揺が走ったようだ。

否定する向きもあるようだが、大多数の歴史家に受け入れられている様子。

 

クレシーの戦いは1346年。

ジャンヌ・ダルクが生まれたのは1412年。

ジャンヌ・ダルクが世に出るきっかけとなったオルレアン包囲戦は1428年。

 

この時点でもう「ジャンヌ・ダルクが始めて人に大砲を撃ち始めた」が否定される。

 

さらにオルレアン包囲戦のさなかに起きたニシンの戦いにおいてもフランス軍が大砲を使用している。

ja.wikipedia.org

ちなみにジャンヌ・ダルクはこの戦いでフランス軍が負けると予言し、的中させたため聖女と認められたらしい。

それまでは相手にされていなかったので、この戦いでジャンヌ・ダルクフランス軍に大砲の使用を具申することはできない。

 

探せば他にもありそうだけどとりあえずこれだけでも十分否定になると思うのでこの程度で。

 

ではもう一つ、大砲の長い射程で長弓兵を圧倒した事実はあるのか。

大砲のアウトレンジ戦法で長弓兵に勝った戦いはあったのか?

なるほどリーチの差を使えば敵に対し有利にはなりそう。

では実際にそのような戦いがあったのか?

結論から言うと、調べた限りはなかった。だが大砲が活躍できた戦いはあった。

 

ジャンヌ・ダルク登場後にフランス軍が勝利した最初の野戦としてはパテーの戦いがある。

だけどこの勝因は、たまたまイングランド軍の伏兵にフランス軍が気がついたから。

そしてイングランド軍の準備が整わないうちにフランス軍が突撃をかけたから。

 

それ以後の戦いでも、大体はフランス軍の突撃が適切に行われたことで勝利している。

要はこの時代でも騎兵による突撃は有効な戦い方だった。

 

モード・アングレの弱点

クレシーの戦いで有名になったイングランド軍のモード・アングレは、有効に働くためには事前に敵の攻撃を止めるための準備が重要である。

その準備が適切に行われていなかった場合は機能しなかった。

 

クレシーやアジャンクールの戦いイングランド軍が勝てたのは、フランス軍の突撃を前者は下馬騎士が、後者は逆茂木が止めてくれたからと言える。

 

また敵の攻撃を受け止める騎士と長弓兵との間で連携が取れなかった場合も負けている。

百年戦争ではないがイングランドスコットランドの戦い、バノックバーンの戦いがそう。

百年戦争より前に行われたこの戦いでは、まだ騎士が馬に乗っていたため突出してしまい、歩兵の長弓兵としっかり連携が取れなかった。

ja.wikipedia.org

大砲が活躍できたカスティヨンの戦い

結局百年戦争において大砲は野戦で活躍できなかったのか、と言われると「一応できた戦いはある」と答えられる。それが百年戦争最後の戦い、1453年のカスティヨンの戦いだ。

weaponsandwarfare.com

だがこの戦いも大砲のおかげ、と言われると微妙なところがある。

 

カスティヨンの街近郊で行われたこの戦いは、フランス軍が砲兵陣地を構築。この陣地には実に300門もの大砲が設置されていた。

 イングランド軍はこの陣地のフランス軍が退却している、という情報を得てこの陣地に攻撃を開始。だがこの情報は誤報だった。

 誤報と分かった後もイングランド軍は攻撃を続けたが陣地の突破はならず、大きな損害を出して退却。

 

というのがこの戦いの趨勢だ。

 

つまりモード・アングレで攻撃を待ち受ける長弓兵を大砲のアウトレンジで撃滅したわけではなく、フランス軍の方が野戦築城で攻撃を待ち受けていた。

誤報のせいとはいえイングランド軍がしたことは、アメリ南北戦争ゲティスバーグの戦いで行われたピケットの突撃のような無謀な行為。

それを「してくれた」おかげで勝てたようなもの、と言ったら言い過ぎか。

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クレシーの戦い

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カスティヨンの戦い

大砲が撃たれていたはずなのに全く登場しないクレシーの戦いに対し、カスティヨンの戦いでははっきりと大砲が登場している。やはり活躍したのだろう。ただしアウトレンジ戦法ではない。

カスティヨンの戦いの右端真ん中、クロスボウの奥にある銀色の細長いものはひょっとしたらアルケブス(初期の火縄銃)だろうか?


まとめ

ジャンヌ・ダルクが生まれる以前からすでに大砲は野戦においても使用されていた。

ただし大砲が野戦で活躍できたケースは非常にまれだった。 

 

実際のところ、この時代の大砲が野戦で活躍するのはかなり難しかった。

カスティヨンの戦いでフランス軍が(運もあるが)それを可能にしたのには秘密があった。

そのへんについては長くなったので別記事で書いてみる予定。